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東京地方裁判所 昭和43年(むのイ)412号 決定 1968年7月04日

主文

東京地方検察庁検察官検事堀部玉夫が別紙第一記載の様式による昭和四三年六月二八日付指定書を以てなした接見等に関する指定はこれを取消す。

理由

一本件申立の要旨は、別紙第二に記載のとおりである。

二そこで本件申立の当否について判断する。

本件につき当裁判所のなした事実調の結果によれば、被疑者は、昭和二五年東京都条例第四四号集会集団行進及び集団示威運動に関する条例違反被疑事件により、昭和四三年六月二六日逮捕され、引続いて同年六月二九日勾留され、(勾留請求は同月二八日)かつ同日接見も禁止され、現在代用監獄警視庁代々木警察署留置場に在監中のものであること、東京地方検察庁検察官検事堀部玉夫は、右被疑事件につき別紙第一記載の様式による昭和四三年六月二八日付指定書を以て接見等に関する指定をなしたこと、右指定は、直ちに右被疑者及び被疑者の在監する代用監獄代々木警察署長にその謄本を交付して、告知されたことが認められる。

ところで、右の如き指定書による接見等に関する指定は、一般に、いわゆる「一般的指定」と呼ばれているものであつて、右指定が刑訴法第三九条第三項の「処分」に当るか否かについては、議論の存するところである。しかしながら別紙第一記載の様式による本件指定書には、「捜査のため必要があるので右の者と弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人とならうとする者との接見又は書類の授受に関し、その日時、場所及び時間を別に発すべき指定書のとおり指定する」と記載されているところ、右の如き文言の内容や右指定のなされた趣旨等からみて右指定は、被疑者とその弁護人等との接見等については、検察官が別に発する指定書において指定する日時、場所及び時間に限つて許容し、それ以外の日時、場所又及び時間には許さないことを指定した趣旨のものと解するのが自然であるし(もしそうでなく、検察官が別に接見の日時、場所等の指定をする意思を有する旨表示したに過ぎないならば、わざわざ、かかる指定をする必要はない)又右指定書の謄本は被疑者にも交付されてその内容が告知されているのであるから、右指定を以て、単なる宛先のない捜査官側の内部的なものとか、監獄官吏宛の通告に過ぎないものと解することはでき難いし、更に事実調の結果によれば、現実に、右の如き一般的指定がなされると、その後監獄官吏は、検察官が被疑者とその弁護人等との接見等に関する日時、場所及び時間を具体的に指定しない限り、被疑者と弁護人等との接見交通を拒否し、右日時、場所、時間を具体的に指定した検察官の具体的指定書を持参したものにだけ、接見交通を許していることが認められるのであつて、要するに、刑訴法第三九条第三項の被疑者と弁護人との接見交通に関する日時、場所、時間等に関する指定は、右の如き一般的指定とその後になされる具体的な指定とによつて行われているのである。しかして以上の如き諸点からみれば、別紙第一記載の様式による指定書を以てなされた本件接見等に関する指定は、刑訴法第三九条三項に基く処分と解するのが相当であつて、これに不服な被疑者及びその弁護人は刑訴法第四三〇条に基きその取消を求めて準抗告をなし得るものと解すべきである。

そこで次に右の如き一般的指定が適法なものであるか否かについて判断るすに、刑訴法第三九条第一項は、身体の拘束を受けている被疑者は、その弁護人又は弁護人となろうとする者等(以下単に弁護人等という)と立会人なくして接見交通のできることを認めているのであつて、右規定からすれば、被疑者とその弁護人等は、刑訴法上の権利として、日時、場所、時間等の制約なく自由に接見交通ができるのが原則であるし、又同法第八一条は、一定の場合に被疑者と弁護人等以外の者とのみの接見等を禁止し得ることを定めているのに、弁護人等との接見禁止を除外しているところからすれば、被疑者と弁護人等との接見交通を全面的に禁止することは、仮りにその後において、具体的に接見交通をすることが許される場合があつても、我が刑訴法上許容されないものといわなければならない。ただ刑訴法第三九条第三項は、検察官等の捜査官は捜査のため必要のあるときは、公訴の提起前に限り、被疑者と弁護人等との接見等に関し、日時、場所、時間等を指定できる旨規定しており、右規定に基づき、捜査官が接見等の日時、場所等を指定することにより本来自由なるべき接見交通が一時的に制限されることはある。しかし右にいわゆる「捜査のため必要があるとき」、とは、被疑者と弁護人等と接見交通が権利として認められた現行刑訴法の趣旨にかんがみ、捜査官が被疑者の取調べ中とか、その取調べのために被疑者が呼出を受けて出頭しようとしているとか、或は被疑者が実況見分に立会つているとかという場合をいうのであつて、その他の捜査官の単なる捜査上の都合、便宜の点から右捜査の必要の有無を判断すべきではないと解すべきであるのみならず、右指定にあたつては、被疑者の防禦の準備をする権利を不当に制限してはならないのであるから、本件接見等に関する指定の如く、別に検察官の具体的指定のない限り、概括的、一般的に被疑者と弁護人等との接見交通を禁止することになる指定は、違法なものといわなければならない。

よつて、本件接見等に関する指定は違法であつて本件準抗告の申立は理由があるから刑訴法第四三二条第四二六条第二項により主文の通り決定する。(後藤勇)

別紙第一

接見等に関する指定書

被疑者 氏名不詳(代々木警察署留置八号)

捜査のため必要があるので、右の者と弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人とならうとする者との接見又は書類の授受に関し、その日時、場所及び時間を別に発すべき指定書のとおり指定する。

昭和四三年六月二八日

東京地方検察庁

検察官検事 堀部玉夫

別紙第二

申立の趣旨

東京地方検察庁検察官堀部玉夫が昭和四三年六月二九日付でなした別紙記載の接見等に関する指定はこれを取消す。

との裁判を求める。

申立の理由

第一、被疑者は公務執行妨害被疑事件により昭和四三年六月二六日逮捕され、引続いて同年六月二九日勾留され現在代用監獄代々木警察署留置場に在監中の者であるが、東京地方検察庁検察官堀部玉夫は同年六月二九日付で別紙記載のような接見等に関する指定(いわゆる一般的指定)をなした。

第二、右一般的指定は、法務大臣訓令の事件事務規程二八条に準拠して発せられるのであるが、同条は「検察官又は検察事務官は、刑訴三九条三項による接見等の指定を書面によつてするときは、接見等に関する指定書(様式四八号)を作成し、その謄本を被疑者及び被疑者の在監する監獄の長に送付し、指定書(様式四九号)を同一項に指定する者に交付する」と定めている。右の一般的指定書が交付された被疑者については、日時場所等を具体的に指定した様式四九号の書面(具体的指定書)を持参せずに弁護人が留置場へ行つても、被疑者との接見は阻止される。またその場(留置場)で司法警察職員から、他の日時等を新たに指定されるということもない。従つて弁護人は、検察官にあらかじめ接見の申出をしておき、検察官は接見させてもよいと判断したときは、具体的指定書を作成して弁護人に交付し、弁護人はそれを持つて、指定された日時に出かけて行つて初めて接見が可能となるのである。極端な例としては、裁判官は勾留のみをつけ法八一条の接見等禁止をつけない場合に、検察官は独自の判断で一般的指定を出しているため、一般人は自由に接見できるにもかかわらず、弁護人は接見を阻止されるという事例も多々発生しているのである。また、具体的指定の実際は、身体を拘束された当初に一回、一〇日間の勾留期間満了前に一回、勾留延長期間中に一回、各一五分間というのが通例である。

右のような運用の実体にかんがみれば、一般的指定とは実質的には接見の一般的禁止であり、具体的指定は、その部分的解除に外ならない。

第三、右のような実質を有するところの一般的指定は、憲法三四条、刑事訴訟法三九条一項三項に違反している。

憲法三四条は、「何人も、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない」と定めている。「弁護人に依頼する権利」とは単なる「弁護人を選任する権利」ではなく、弁護人を選任することによつて被疑者が自己を有効に防禦する権利を意味するものである。一方刑事手続においては、捜査段階こそは被疑者の人権が最も侵害されやすい時であり、また公判に向けて有利な証拠の収拾保存のための緊急な活動が要請される時でもある。そして右のような人権保障等の防禦活動は、身体を拘束されている被疑者の場合は弁護人を通じて行う以外に手段がない。従つて被疑者と弁護人とが自由にかつ秘密に接見交通する権利は、憲法三四条が保障している「弁護人に依頼する権利」の重要をなしており、それを具体的に表現したのが法三九条一項である。従つてこの秘密交通権に制限を加えることは原則として許されないはずである。しかるに法三九条三項は、検察官はもとより検察事務官や司法巡査さえもが、接見の指定という形式で右の秘密交通権に制限を加えることを許している。捜査段階においては、被疑者及び弁護人と捜査機関とはその利害が激しく衝突しているのであるが、そのような状況において、一方当事者たる捜査機関に他の一方当事者の最も重要な権利を一方的に制限することを許しているのである。これでは接見の指定が被疑者の防禦権の侵害とならないように最少限度の範囲内で行われるということは初めから期待できない。しかるに現行法は準抗告という事後におけるきわめて不備な形での救済手段しか置いていない。この点において、即ち憲法上保障された重要な権利を制限するにつき、その制限を必要最少限度の範囲内にとゞめるための効果的な手続上の保障を欠いているという点において、すでに法三九条三項は憲法三四条に違反していると断せざるを得ない。

仮りにしからずとするならば、接見の指定をするについての要件を厳格に解し、その要件に反するものはすべて準抗告によつて救済し得るという解釈をとつた場合にのみ、辛うじて合憲性の主張が許されるのである。

そこで、一般的指定という形での接見の指定が許されるか否か判断する。前述のとおり、一般的指定の実質は一般的禁止に他ならない以上、それは到底憲法三四条の許すところではない。また形式的にも、法三九条三項の「その日時及び時間を指定することができる」という文言からは、日時等の具体的な指定のみが許されていると解するのが当然であるし、また同条一項と三項の順序、指定のしかた等からみても、具体的指定がない限りは自由に接見できるというのが法の趣旨である。一般的指定が憲法三四条、法三九条一、三項を無視した違法な指定であることは明らかである。

そもそも裁判所でさえも弁護人の接見交通を禁止することはできないのに、なぜ一方当事者にすぎない捜査官が実質上それを全面的に禁止することができるのであろうか。一般的指定を合法とする説は、法三九条三項の「捜査のため必要があるとき」という文言を「捜査全般から見て必要なとき」と解釈し、さらに指定の出し方については法に具体的な定めはないのだから、右のような必要性があるときは先ず一般的指定を出し次に具体的指定を出すという二段の手続をとることもできると主張する。しかしながら「捜査のため必要があるとき」というのを、右のように広く解することは前述のとおり憲法三四条の意義からしても到底許されないところであり、右規定は「現実に取調中のときのみ、指定が許される」と厳格に解して、初めて合憲の主張が可能となるのである。仮りに、捜査の必要性につき右のような捜査全般の必要性を指すという考え方を前提としても、それに基づく指定の出し方としては、あくまで具体的指定でなければならず、実質的な禁止を意味する一般的指定の形式は許されるものではないことは、すでに詳論したところである。他方、捜査全般の必要性とは具体的には何を指すのであろうか。結局のところ、弁護人が仲介して共犯者間の通謀、証拠隠滅、逃亡等を助けるおそれがあるというのである。このような弁護人を侮辱した考え、そして現行司法制度の理念を根底から否定する考えこそは、一般的指定の制度を支えている基本的視点なのである。

第四、一般的指定は、法三九条三項に基づく処分であり、法四三〇条の準抗告の対象となる。

一般的指定が法三九条三項に基づいて発せられるものであることは、前記事件事務規程二八条によつても明らかである。問題はそれが処分といえるものであるか否かである。この点について行政法上の処分(行政行為)の概念を参考として考えてみると、処分とは「公機関が、法に基き、公権力の行使として、人民に対し、具体的事実に関し、法律的規制をすな行為」(田中二郎著、行政法総論二六四頁)であるとか、「公機関たるものの意識内容の表示たる公法上の作用で一定の固有の法律効果の原因たるもの」(行政法講座二巻六五頁)であると定義づけることができる。一般的指定が右の要件を全て満たしており、正に「処分」といえるものであることは明らかである。

右の見解に対する反対説の第一としては、処分不存在説がある。即ち、一般的指定書には「その日時、場所及び時間を別に発すべき指定書のとおり指定する」となつているが、その「別に発すべさ指定書」がまだ発せられていないだけであり、従つてこれは単なる不作為にすぎないというのである。従つて一般的指定書が発せられたら、弁護人は検察官に対して具体的指定書の交付を求め、もしそれが拒否されたら、その拒否処分即ち具体的指定書交付拒否の処分に対して準抗告を申し立てることができるということになるのであろうか。この説は指定書の文言のみにこだわつた形式論にすぎない。一般的指定の処分性を判断するについて、当事者に交付された文書の文言は重要な資料ではあるが、あくまで一つの資料にすぎない。その文書が交付されたことにより、いかなる法的効果、拘束力が相手に対し生じるのか、その実体が重要である。一般的指定の適用の実体は前述のとおりであり、具体的指定書を検察官から交付されない限り、弁護人が接見に行つても接見を阻止され、何時間あるいは何日間持つても絶対に接見はできない。従つて一般的指定は、「具体的指定書を持参しない限り接見を禁ずる」という内容であると理解しなければならない。右のような公機関の意思は、明確に発動されているのであり、不作為即ち何の意思も発動されない状態と見ることは到底不可能である。

反対説の第二は、一般的指定それ自身は準抗告の対象たる処分ではなく、それに基づいて警察官が現実に行う接見阻止行為が、処分として準抗告の対象になるとの説である。

この考えは、一般的指定は検察官から監獄の長にあてた通告であり、要するに国家機関内部での指示にすぎず、外部即ち「人民に対して」表示されたものではないというのである(同旨昭和三三年二月二一日京府地裁決定一審刑集一―二―三二七、昭和三八年六月一日岐阜地裁決定下刑集五―五・六―六三五………もつともこれらの決定は、一般的指定に基づく現実の接見阻止行為については言及していない)。これは公機関としての意思の発動である処分とそれに基づく事実行為とを混同するものである(前掲田中二六八頁、前掲講座五九頁)。

検察官は、国家機関としての自己の意思に基づいて、一般的指定を出すことを決定し、自己の名において、「接見等に関する指定書」と題する書面を作成しそれを被疑者等に交付しているのであるから、実質的にも形式的にも処分者は当該検察官以外にあり得ない。警察官は、単にその処分に基づいて事実行為として接見の阻止を行つているに過ぎない。この関係は、法八一条の接見等禁止の命令を出すのは勾留裁判官であり、それが出ていることを知らずに接見に行つた者に対して現実に接見を阻止するのは、一警察官であるという関係と全く同一である。

従つて一般的指定が発せられたときには、それに基づいて警察官が行う現実の接見阻止行為とか、あるいは検察官による具体的指定書の交付拒否行為とかを待つまでもなく、一般的指定それ自身で独立した一個の「処分」なのである。

右の処分は前述のとおり法三九条三項に「基づく」処分であるが、これは法四三〇条一項で言うところの「第三九条第三項の処分」に該当するものである。法三九条三項は、一般的指定というような指定は本来予定していないのであるが、法が予定しない違法な処分についてはかえつて救済の対象にならないというのは極めて不合理である。起訴後の接見の指定は、右条項の全く予想しないところであるが、それに対する準抗告を認めた最高裁の決定(昭和四一年七月二六日集、二〇―六―七二八)の趣旨からしても法四三〇条一項の解釈としては、法三九条三項に「基づく」処分も救済の対象となるものと解さなければならない。

第五、一般的指定は被疑者に対する処分であると同時に弁護人に対する処分でもある。もつとも一般的指定書が被疑者に交付される段階では弁護人は特定していないことが多いであろう。しかし、相手方不存在の処分は考えられないが、その相手方が処分時に特定していることは必ずしも必要はないのであるから(前掲講座七三頁)、一般的指定書が被疑者に交付されたときにおいて、その処分が弁護人に対しても為されたものであると言つて妨げない。よつて右処分の、被疑者に対する面においては被処分者の弁護人(代理人)として、弁護人に対する面においては被処分者自身として、本件一般的指定の取消を求める。

なお一般的指定を取消した裁判例は次のとおりである。

昭和四二年三月七日

鳥取地裁決定(下刑集九―三―三七五)

同四三年一月二四日 高知地裁決定

同年三月一二日 静岡地裁決定

(判例時報五一二号)

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